犯人逮捕のきっかけは声紋分析
この事件が注目を集めたのは見事な声紋分析でした。
ちなみに犯行は突発的に思いつき犯行当日の午後2時ころに思いついたそうです。
携帯料金などの支払いのために甲府信用金庫大里支店に行き、窓口で支払いました。
その際に女子社員のネームプレートを見て『内田友紀』という名前を覚えたそうです。
そして犯行に及びました。
ネームプレートを付けていたことがこんなことになるなんてだれも予想できませんよね!!
遺体発見後、山梨県警はそれまでの情報非公開を解除し一斉公開に踏み切りました。
同時に遺体を発見した静岡県警と共に合同捜査本部を設置し、逆探知装置に残っていた声をもとに
音声・音響分野の研究を行なっている『鈴木松美』に声紋鑑定を依頼しました。
声紋とは
人間の声というものは様々な周波数の音の集まりで構成されています。人間の声を、どの時間に、どの周波数の音を、どれくらい含んでいるかをソナグラフという機械で視覚的に三次元表示したところ、指紋のように人それぞれ異なった紋様として表すことができました。そこで、先代所長が「指紋」が指の紋様なのだから、声の紋様を「声紋」と名付ければわかりやすいと考えたのです。それから約25年経過して、ようやく一般の方まで「声紋」という言葉が浸透していきました。
昭和45年、京都外語大講師の三好氏によって発表された「声と顔立」との相関関係の研究により、声の違いは発声器官(口腔、鼻腔、声帯)や口唇、舌などの話すことに関わる部分の違いから生じるものですが、特に声の音色に関しては、口腔や鼻腔の容積及び構造に規定されているということが解明されました。人の顔形がその人それぞれで異なるように、声が構成される声帯から口腔、鼻腔の形も人それぞれ固有の特徴を持つことから、声にもその人固有の個性が表れます。また、身長は声の高低と密接に関係しています。一般に身長の高い人ほど体の各部位も大きく、声帯も例外ではなく身長が高い人ほど声帯が大きいのです。大きい太鼓と小さい太鼓では大きい太鼓の方が低い音が出るように、大きい声帯を持つ人、つまり身長が高い人ほど低い声が出るのです。このような特徴を声紋分析することにより、個人の特定が可能になります。今では技術の発達、その精度も増し、性別、顔形、身長、年齢等を特定することが出来るようになり、犯罪捜査の決め手になることも少なくありません。(引用:日本音響研究所)
今回の犯人は声紋鑑定によると
◆身長170cm前後
実際172,3cm
と鑑定通りでした。
◆年齢40~50歳半ば
実際:38歳
少し違いましたが、これは
声帯も筋肉で老化現象が現れるため年齢の推測ができるそうです。
今回は山梨いすゞ自動車の営業で荒っぽいトラックの運転手相手に声を酷使したため、鑑定より老化が進んでいたと思われているようです。
スポンサーリンク
◆電話をかけてきた場所がわかる。
分析の結果市内からの電話だと分かった。
また身代金受け渡し時の電話場所も公衆電話のノイズの違いにより突き止めたそうです。
その後犯人である宮川豊が
『あまりに自分のことが報道され逃げ切れないと思った』
と自首してきたのでした。
自首して偉いとは言えませんが、よく自首してくれたという感じでしょうか。
宮川豊の犯行の動機は?
宮川は1973年3月、県立農林高校卒業後、市内のガソリンスタンドに入社。
1982年に系列の山梨いすゞ自動車にうつり、事件当時は大型車販売第二課・係長という役職についていたそうです。
当時、結婚もしていて家族と5人暮らしだったそうです。
結婚もしていて子供もいるというのは意外でしたね!!
てっきり独り身だと思ってました!!
内田さんを連れ出すのに利用した「ザやまなし」は以前から愛読していました。
近所の人によると宮川豊はまじめなところもあったが、明るく気さくな性格で、近所の小中学生とソフトボールを楽しみ、「宮川のおっちゃん」と親しまれていたそうです。
事件の前年7月、宮川は市内のスナックで韓国人女性と出会い、秋には親密な交際を始めていました。
それまでにも飲食店と知り合った女性と何人か付き合っていたようです。
店で「チップだ」と言って、5万から10万ほどホステスに渡して、羽振り良く見せていたりしていました。
1993年2月、市内の平屋一戸建て3LDKの住宅を借り、スナックの韓国人女性を住まわせていました。
宮川は毎日に会いに行き、夜になると車で遊びに出ていました。
そんな宮川の妻は浮気を知っていたが、何も言いませんでした。
義母が宮川に注意するが「浮気なんてしてない」と笑ってごまかしていたそうです。
事件の直前、宮川の借金は7000万ほどもあったといいます。
7000万も借金とか・・・サラ金とかなんでしょうかね?
普通の銀行は貸してくれるはずありませんし・・・
韓国人女性に住まわせていた住宅の家賃42000円も7、8月分は滞納していました。
借金返済がどうしようもなくなり犯行に及んだんでしょう。
自首前日までその韓国人女性と韓国に旅行に行っていたそうです。
海外逃亡でも考えていたんでしょうか?!
裁判
1995年3月9日
甲府地裁・三浦力裁判長は、
「冷酷無比な犯行で、模倣性が強く、社会一般に与えた影響は大きい」
と無期懲役を言い渡しました。
言い渡しの直後、内田さんの母親は
「友紀ちゃんを返して!」と宮川に向かって泣き叫んだ。
検察側が不服としてこれを控訴。
しかし1996年4月16日
東京高裁、控訴を棄却して一審を支持。
スポンサーリンク
刑が確定しました。
無期懲役が妥当なんでしょうけど、内田さんの親族からしたら甘い刑でしょうね。
内田友紀さんは戻ってこないんですから・・・
まとめ
たまたまネームプレートの名前を見られて誘拐されて殺されて・・・
ネームプレートすらつけられない世の中なんでしょうか?!
本当に犯人の身勝手な犯行が腹立たしいです!!
これはここ最近の事件ではないですが、
本当に怖い世の中だな~ということを実感しますね・・・。
この事件は声紋分析により解決の糸口をつかんだ事件の1つなので
未解決事件も声紋分析など技術が進んでいき、解決が見えてくるものもあるのではないでしょうか。
今後の更なる技術の向上に期待しています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
【関連記事】
コメントを残す