ペルー日本大使公邸人質(占拠)事件の真相や真実!【世界ナゼそこに日本人】

在ペルー日本大使公邸人質事件の真実

日本人の人質は全員無事に救出されました。

この武力突入を指揮し、計画したのはフジモリ大統領は日本人を救ったヒーローだと今もそう思われてます。

しかしこれは、偶然の結果のようです!!

 

フジモリ大統領は日本人が死ぬことを前提に武力突入した』そうです。

フジモリ大統領は、日本人を助けるために武力突入したんじゃなく、日本人は武力突入したら必ず死ぬとわかっていたそうです。

違う目的のために武力突入したんであって、日本人を助けたのはフジモリさんじゃないそうです。

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それは『ゲリラの少年』だそうです!

 

突入の際に日本人の人質は2階の部屋に見張り役の少年(ゲリラの少年)といたそうです。

少年は軽機関銃持ってました。

2階にはトンネルはもちろん届きませんから、最初フジモリ大統領が指揮した突撃部隊は、1階に入ってきます。

トンネルから出てきて、1階にいる主犯格をまず殺害する必要がありますよね。

つまり1階で銃撃戦があるということです。

 

銃撃戦があるということは、必ず2階に聞こえてしまいますので、必ずこの少年は人質を撃つであろうと、フジモリ大統領は判断してたそうです。

なぜ撃たれなかったかというと

この少年は、実際はほんの子供で、アマゾンのジャングルに住んでて、親が50ドルを主犯格から渡されて、50ドルで売られた子供なんだそうです。

少年は引き金に指はかかってたそうですが、引けないまま彼は後ずさりしていって、部屋から出て廊下に出たそうです。

 

その時ちょうど特殊部隊の兵士が上に上がってきたから、少年が部屋から頭が出たので、パーンとこめかみ撃ち抜かれて彼は死んだそうです。

4か月の生活で仲良くなっていたんではないでしょうか。

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たった50ドルで売られた・・・そんな世界もあることが悲しいですよね。

 

何のために武力突入したのか?

フジモリ大統領は、

俺に反抗するな、俺に抵抗するなというメッセージを国民に流すために、武力突入したんだそうです。

さらにゲリラの中には生きて捕まったにもかかわらず、虐殺されたかたもいたそうです。

そのことで裁判にもなったそうです。

 

■ペルー法廷、ゲリラ処刑事件で元日本大使館員らに証言求む(読売5/19)

【リオデジャネイロ=中島慎一郎】1997年4月のペルーの日本大使公邸人質事件の強行突入の際、治安部隊に左翼ゲリラを違法に処刑させたとして、殺人罪に問われたモンテシノス元国家情報局顧問と当時の軍幹部2人の初公判が18日、リマの海軍基地内の法廷で開かれた。

モンテシノス被告はフジモリ元大統領の元側近。検察側は、武力突入後に武装解除したトゥパク・アマル革命運動(MRTA)のゲリラ兵3人の処刑を命じたとして、モンテシノス被告に禁固20年、アスクラ元陸軍大佐に同15年、エルモサ元国軍司令官に同8年をそれぞれ求刑。

さらに次回以降の公判では、当時日本大使館書記官として人質となり、武力突入後にゲリラ兵3人の生存を目撃した小倉英敬氏(現・常磐会学園大教授)らの証言を求めている。

 

陰でそのようなことが行われていたなんて・・・

ヒーローから一転、殺人容疑がかけられるなんて・・・

まとめ

解決した事件にこのような真実があったとは思いませんでした。

私は事件を知らずに調べたからこそ真実を知りましたが、当時のニュースしか見ていない方は誤解している可能性もありますね!

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今回の放送ではこの内容に触れるかわかりませんが、人質だった方が出演されるので興味のある方は是非チェックしてみてください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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