9.11米同時多発テロ!息子を失った母とテロリストの母が対面!奇跡の物語

2018年9月11日(火)  21時30分~放送の『ザ!世界仰天ニュース

衝撃の巨大腹!あの美女も激痛に耐えた病&デブこそ偉い村!】が放送されます。

911テロ【20人目の実行犯】大学出の男が過激派に洗脳された罠という内容が放送されます。

【20人目の実行犯】はザカリアス・ムサウイという人物で、今回はその母親と911米同時多発テロの被害者の母親とのストーリーです。

アメリカ同時多発テロ事件の概要

アメリカ同時多発テロ事件は、2001年9月11日に

アメリカ合衆国内で同時多発的に発生した、

航空機等を用いた4つのテロ事件の総称です。

4機の飛行機のうち

2機がワールドトレードセンタービルに激突

1機がアメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)に激突

残りの1機がペンシルベニア州ピッツバーグ郊外シャンクスヴィル(ワシントンD.C.北西240kmの場所)に墜落

 

当時は情報が錯綜し、かなりの混乱状態だったそうです。

 

アメリカ合衆国政府は捜査の結果から、

このテロ攻撃がサウジアラビア人のオサマ・ビンラディンをリーダーとするテロ組織「アルカーイダ」によって計画・実行されたと断定し(アルカーイダはこれを否定しなかったが、肯定もしていないそうです)

彼らが潜伏するアフガニスタンのターリバーン政権に引き渡しを要求しました。

しかし、ターリバーン側は、

「証拠があれば引き渡す。しかし、今の段階ではアルカーイダのやったこととは断定できない。」と主張し、引き渡しを拒否しました。

これに対してアメリカ合衆国軍はアフガニスタンのターリバーン政権に対して攻撃を開始しました。

なお、サウジアラビアなど湾岸協力会議を構成するアラブ諸国もテロ攻撃を批判し、アメリカによるアフガニスタン攻撃を支持する声明を出したそうです。

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被害者の母とテロリストの母の奇跡の物語

【20人目の実行犯】ムサウイの母親アイーシャ・エルファフィ(Aicha el-Wafi)さんは14歳のときに結婚。

5年後に彼の両親はフランスに移住し、ムサウイはそこで生まれました。

彼女は4人の小さな子供を抱えていましたが、家庭内暴力により離婚、掃除婦として生計を立てながら子供達を育てたそうです。

家庭内では宗教的な教育はなかったといいます。

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フィリス・ロドリゲスさんは911テロで息子を亡くした被害者です。

そんな2人が出会って生まれた友情があったそうです。

大切な家族を思いもよらない形で失ったことで、フィリス・ロドリゲスとアイーシャ・エルファフィは強い絆で結ばれました。

2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件で、ロドリゲスは息子を亡くし、エルファフィの息子であるザカリアス・ムサウイはテロの関与から有罪判決で終身刑となりました。

平和を願う思いから、この二人の母親はお互いを理解し、尊重するようになりました。

 




(以下訳)

<フィリス・ロドリゲス>
今日、私たちがここにいる理由は普通の方ならば珍しいと思う友情を築いているからです。たしかに珍しいですが今の私たちには当然のように感じます。

<フィリス・ロドリゲス>
私の息子がワールドトレードセンターにいたことを知ったのは 2001年9月11日の午前中でした。事件から36時間経つまで息子の安否は、わかりませんでした。その時点でわかっていたのは、これは政略的な事件であるということ。私たちはアメリカ政府が 私たち家族に代わって何をするのか心配でした。でも息子が犠牲になりとてつもないほどのショックを受け、文字通りの意味で私たちの生活は爆破されましたが、復讐心はありませんでした。それから数週間して、ザカリアス・ムサウイがテロに関与したとされる6つの訴因で起訴されました。アメリカ政府は有罪判決が下された場合、死刑を求刑しましたが、夫と私は反対であることを公に述べました。これがきっかけで また、人権団体を通して私たちは他の犠牲者の家族と会いました。

<フィリス・ロドリゲス>
アイーシャの息子が起訴されたとき、テレビに出ている彼女を見て“なんて勇敢な女性なんでしょう、私も強くなれた時に彼女に会いたい”と思いました。 当時はまだ深い悲しみに包まれ、その気力がありませんでした。でもいつか彼女とは出会えると思っていました。なぜなら、私の息子が犠牲になったことを周囲の人が知ったとき、私はすぐに同情されました。でも彼女の息子が起訴されたと報道されたとき、彼女は同情されませんでした。でも私たちは同じくらい苦しんでいるのです。

<フィリス・ロドリゲス>
私たちは2002年11月に会いました。アイーシャから その時のことをお話ししてもらいます。

<アイーシャ・エルファフィ>
皆さまこんにちは、ザカリアス・ムサウイの母です。私はある人権団体にお願いをして犠牲者の家族の方々と連絡をとれるように掛け合ってもらいました。人権団体は合計5家族を紹介してくれました。その中にいたフィリスに目がとまりました。グループの中で母親は彼女だけでした。他の方々は、兄弟や姉妹の方たちでした。彼女の目から彼女が私のように母親であることがわかりました。私は母親としてつらい思いをたくさんしてきました。14歳のとき結婚をしました。15歳のとき 一人目の子を亡くし、16歳のとき二人目の子を亡くしました。ですからザカリアスのことは耐えられませんでした。私のつらい思いは消えていません。なぜなら私の息子は 生き埋めにされたようなものです。彼女が息子さんを失った悲しみで泣いたことは知っています。でも息子さんの居場所はわかります。私は我が子の居場所がわかりません。生きているのか拷問されているのか何もわからないのです。

<アイーシャ・エルファフィ>
それで 私自身の話をすることにしました。他の女性には私の苦しみから何かを得てほしいのです。すべての女性へ命を生む母親たち皆へ伝えたいのは、人として社会に報いるのも変化を起こすのも私たち女性次第だということです。なぜなら私たちは女性であり、子どもたちを愛しているからです。手をつなぎ合って、共に何かをしなくてはいけません。女性に不利にはなりません。私たちのため、女性のため、子どもたちのためです。私は暴力やテロには反対です。学校に行って、ムスリムの女の子たちに話をします。彼女らの意に反して、若いうちに結婚させられないようにするためです。一人でも若い女の子を救って、望まない結婚から逃れ、私が経験した苦しみを避けることができればいいと思っています。それをお伝えしに来ました。

<フィリス・ロドリゲス>
他の家族の方たちと共に、私たちが初めて会ったときから私はアイーシャからたくさんのことを学びました。初めての対面は警備がつき、人目を避けて行われました。 2002年11月のことだったので、私たちは アメリカ国内の熱狂的な愛国心には恐れを感じていました。でも私たちは、まったく心が落ち着かず、なぜ彼女が私たちに会いたいのかと思っていました。彼女も不安を感じていました。私たちが彼女に会いたい理由やお互いに対して何を望んでいるのか思いが巡りました。お互いの名前などを言う前に私たちは抱擁をして、涙を流していました。それから皆で輪になって座りました。このような和解を経験した人たちが、支援のために同席してくれました。まずアイーシャが声を出し、こう言いました。 “自分の息子が有罪なのか無罪なのか 私にはわかりません。でも皆さんの家族のことを思うと胸がしめつけられる思いです。苦しみとは何かはわかっています。罪を犯した人は、公正に裁かれて罰せられるべきだと思っています。” 彼女はこのように接してきました。それによって緊張がほぐされたように感じました。私たちは、それぞれの家族に起きたことを話し、人間として皆がつながりました。昼食をとって、3時間ほどのことでしたが。

<フィリス・ロドリゲス>
私が彼女から学んだのは、このような現状で寛大でいることができる女性というだけではなく、これ以前のことや彼女の息子に何がされたのかということです。でも彼女が送ってきた人生は、私が知っている文化や環境とはまったく異なり、これほど辛い人生を送ってきた方は見たことがありません。また私たちは、特別なつながりがあると感じています。 とても光栄です。 私が思うのは、結局のところ他者を恐れることがあっても、アイーシャがしたように行動してみると“それほど難しくないわ”とか“自分とは違う立場にいる人と他に誰と友達になれるかしら”と気づくのです。

<フィリス・ロドリゲス>
ねぇ アイーシャ 締めくくりに伝えたいことはあるかしら。もう時間がないわ。

<アイーシャ・エルファフィ>
私が言いたかったことは。他者を知る努力をしなくてはいけないということです。思いやりの心をもってください。寛大な心と気持ちを持っていなくてはいけません。辛抱強くあってください。暴力を許してはいけません。誰もが平和でお互いを尊重しながら暮らせる日が来ることを願っています。これが私のメッセージです。

(以上)

確かに、テロリストの母親を憎む理由はないし、憎しみから暴力のサイクルが生まれることも防げますね。

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被害者遺族にとっては難しいかもしれませんが、自分の立場だけではなく相手の立場になって考えることも必要ということですね。

最後のアイーシャさんの言葉の「他者を知る努力をしなくてはいけない」というのが、

深く心に残りました。

 

 

「20人目の実行犯」ザカリアス・ムサウイ

ザカリアス・ムサウイ(1968年5月30日 – ) はフランス市民権を有するモロッコ出身者。

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件に関与したとされアメリカ合衆国において裁判にかけられています。

2001年8月16日にFBIによって逮捕されました。逮捕理由は、

ミネソタ州イーガンの航空訓練学校に入学していたムサウイの入学動機を教官が疑問に思い通報したのがきっかけであったそうです。

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テロが実行された後にムサウイは「20人目の実行犯」としてメディアの注目を浴びました。

2006年5月3日に陪審は仮釈放なしの終身刑を宣告し、公式には翌日に言い渡されました。

 

まとめ

フィリス・ロドリゲスとアイーシャ・エルファフィの友情のお話でした。

立場の異なる2人がそれぞれ共感しあい、思いやりの気持ちで芽生えた友情でしたね。

深く考えさせられるお話でしたね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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