12月14日(水) 24:34~放送の 『上田晋也のニッポンの過去問【第75回】』では
【裏山にトラが逃げた!神野寺トラ騒動】を放送します。
トラが逃げた事件があったなんて・・・・・こわっ!
この事件は1979年に起きたものなので、若い方は知らないでしょう。
私も産まれてません!
このニュースは世界的にも大きく報じられ「日本の山には(野生の)トラがいる」という誤解のキッカケになったりもしたそうです。
そもそもなぜお寺に12頭ものトラが飼われていたのでしょう。
また、27日間もトラが逃げ続けてることができたのはなぜだったのか。
このあたりには、70年代ならではの大きな理由があるそうです。
ちなみに神野寺は『じんやじ』と読みます。
神野寺トラ騒動の詳細
◆概要
1979年8月、神野寺で飼われていた2頭のトラがオリから脱走しました。
うち1頭は警察官や消防団、猟友会員など延べ計約7700人を動員した大捜索網をかいくぐり、約1カ月間にわたって周辺の山林を逃走したそうです。
その間、民家の飼い犬を食い殺すなどし、住民はトラにおびえる恐怖の夏を過ごしたそうです。
◆詳細
■トラ脱走
事件が起きたのは君津市鹿野山の名刹(めいさつ)、神野寺(じんやじ)。
動物好きの住職がトラやクマなどを集め、境内に動物園を併設しており
地元住民から人気を集めていたそうです。
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飼育係(住職の次女)が8月2日夜、オリの鍵が外れてトラ12頭のうち3頭がいないことに気付いた。
翌日の3日未明に県警に通報した。
1頭はすぐ発見されたが、1歳のオスとメスの2頭が姿を消した。
子トラとはいえ、体重約100キロ、体長約1・5メートルもあるそうです。
県警はすぐに現地対策本部を設置しました。
警察官や消防団、猟友会など計約500人をトラの捜索に動員したそうです。
周辺住民(80世帯、240人)には外出禁止令が出され、
市内には『トラが脱走しました』という有線放送が流されました。
■トラ射殺に批判
「『いたぞ!』という仲間の声の後、すぐに発砲音が聞こえ、続けて何か重たいものが水の中に倒れる音が聞こえた」
メスのトラは逃走2日後の4日朝に射殺されました。
君津猟友会の初津昭一さんは現場近くにいたそうです。
メスのトラが発見されたのは寺近くの山中だったそうです。
銃声を聞いた初津さんが駆けつけると、
トラは沢のなかに巨体を横たえ、息絶えていたそうです。
初津さんは子供を連れて神野寺にトラを見に行ったことがあるそうで、
「まさか自分たちが撃つことになるとは思わなかった」と話したそうです。
解決へと進んだと思いきや
トラを射殺したことで思わぬ波紋が広がりました。
全国の動物愛護団体などから
「射殺するな」
「かわいそうだ」
と多数の苦情が寄せられたそうです。
初津さんによると
「射殺した猟友会員の家では苦情の電話が鳴りやまなかった」
寺側もトラの射殺に反対し、捜索隊の士気に大きく影響したそうです。
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寺側からしたら射殺はしてほしくないのは分かりますが、寺川の不注意で人を危険にさせているので、偉そうに射殺はするなっておかしいですよね!
偉そうにしてたかは、分かりませんが・・・
■民家の犬が被害に!
射殺か生け捕りかの方針が分かれたまま続けられた別の1頭の捜索は難航しました。
トラ闘争から8日後の11日には県警が警察官や消防団・猟友会員ら計約2800人を動員して大捜索を実施。
しかし発見には至らず、県警は同日、事実上の捜索中断を発表したそうです。
しかし、20日後の28日早朝、
寺から南東に約4キロ離れた民家の犬がトラに襲われた無残な姿で見つかりました。
「住民への被害が出る前に射殺しなければ」という気運が高まったそうです。
県警の中からえりすぐりの射撃技術を持つ
「トラ捜索選抜隊」と猟友会員らが足跡などをたどって山中を捜索し、
茂みの向こうにトラの影を発見しました。
8月28日午後0時20分ごろに射殺した。
猟友会の相葉武己さんは
「夢中で撃った。倒れたトラを見た瞬間、これでやっと終わったと思った。長い猟友会の経験の中で、トラを相手にしたのはこれが最初で最後だった」と話したそうです。
■条例制定が加速
オリの鍵について、寺側は一貫して
「施錠していた」と主張した。
しかし県警は現場検証の結果、鍵はかけられていなかったと判断した。
寺は残ったトラなどを北海道の動物園に引き渡し、猛獣の飼育をやめたそうです。
この事件をきっかけに、国は危険動物の飼育の規制強化に動いたそうです。
県衛生指導課によると、環境省はこの事件を受けて同年8月に各都道府県知事らに対し、猛獣などの危険動物の飼育・保管に関する条約の制定を急ぐよう通知。
本県も11月に「危険な動物の飼養及び保管に関する条例」を施行した。
麻酔銃は使えない?その理由は次のページで!!
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