12月19日(月) 19:00~ 放送の『世界まる見え!』では
【ミステリークイズ2時間SP】を放送します。
今回番組内で注目したのは
『1日にして火山灰にのまれた帝国ポンペイ』
について調べました。
古代都市ポンペイの本格的な発掘調査が1860年から行われてきました。
しかし町が火砕流により丸ごと飲み込まれたにも関わらず、人々の遺体がほとんど見つからないという大きな謎が浮上しました。
しかも町の至るところに不可解な空洞が点在していました。
実はこの空洞こそが、ポンペイに秘められた謎を紐解く鍵となっていたのです。
一体、ポンペイの人々はどの様に暮らして最期の瞬間を迎えたのでしょうか?
歴史の謎を解き明かします。
ポンペイが火山灰にのまれた災害の詳細
右奥がポンペイの入口となるマリーナ門。ヴェスヴィオ周遊鉄道のヴィッラ・ディ・ミステリ駅と門の間の街並み ©牧哲雄
ヴェスヴィオ山は西暦79年に大噴火を起こしました。
麓にはポンペイやヘルラクラネウムなど古代ローマの都市が栄えていました。
しかし、大噴火によって都市は壊滅し歴史から消え去りました。
ポンペイは南イタリアのナポリ湾沿岸にありました。
ベスビオ山はたった一晩でポンペイの街とそこに暮らす人々をあつい火山灰で覆いつくしたのです。
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噴火の前、ポンペイの人口は約1万2000人。
貴族が奴隷を従え、商人が商いに精を出す活気に満ちた街でした。
豊かな海沿いに築かれたポンペイはローマ帝国の中でも指折りの風光明媚のリゾート地でした。
貴族や大富豪たちはこぞって豪華絢爛な別荘をかまえました。
オプロンティス荘と呼ばれる当時の邸宅の一部が残っています。
ローマ皇帝ネロの妻の別荘だったとも言われています。
部屋の数は100以上あり、天井や壁にはフレスコ画が描かれ、珍しい顔料がふんだんに使われています。
発掘された建物は当時ポンペイで裕福な人たちが贅沢な暮らしを送っていたことを示しています。
ポンペイは都市としての機能性に優れていました。
道路の下には当時最先端の水道システムが完備されていました。
街路や建物は計画的に配置され街並みは洗練されていました。多くの家や店、酒場、円形闘技場がありました。
そんなに昔に栄えていた都市だったんですね。
しかし西暦79年、全てが突然終わりをむかえました。
西暦79年の大噴火
ベスビオ山からの大量の火山灰に埋もれたポンペイはそのまま時を止めることになりました。
噴火の前兆として地震があったそうです。
地震によって火山の噴火が助長されたんでしょうか。
地震から噴火まで1週間余り。
その間の行動が人々の運命を左右することになりました。
地震の直後、ポンペイでは約半数の住民が荷物をまとめて街から避難しました。
しかし、建物が倒壊し治安が悪化してもなお半数の人は街にとどまりました。
財産などを守るため残ったと言われています。
きっとこんなに大きな被害が出るとは思っていなかったんでしょうね。
確かに命も大事ですが、財産も大事ですからね~。
逃げたいけど、財産も・・・
ってかんじだったのでしょう。
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降り積もった火山灰によって街は跡形もなく消え、存在すら忘れ去られていきました。
その後1860年頃からポンペイの町の発掘調査が行われました。
しかし犠牲となった人々の遺体が見つからない!
火山灰の中には点在する空洞があるだけ・・・
遺体はどこに行ったんでしょうか?!
続きは次のページで!!
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