畠山鈴香の現在や生い立ちは?秋田連続児童殺害事件の概要について

6月7日(水)19:56~放送の『水トク!』は

実録!マサカの衝撃事件【畠山鈴香に息子を殺された父が真相をテレビ初告白】

です!

 

今回の放送では11年前に起こった秋田連続児童殺害事件についての真相が放送されるようです!

自分の娘、そして近所に住む幼い男の子を殺害した畠山鈴香。

私自身にも同じような年齢の子供がいるので、そういう残虐な事件の報道を見る度に心が傷みます。

 

なぜ畠山容疑者は幼い2つの命を奪ったのでしょうか?

動機やきになる現在についても詳しく見ていきたいと思います。

 

秋田連続児童殺害事件の概要は?どんな事件だった?

2006年4月10日に秋田県に住む小学校4年生の女の子、畠山彩香ちゃんが

自宅から10キロ離れた川に転落し、水死体となって発見されました。
警察は「事件ではなく事故の可能性が高い」と判断し、事故死として処理をしていました。

しかし、畠山鈴香は「娘は事故死ではなく、殺害された」と主張。

自ら彩香ちゃんの犯人を捜すためのビラを配ったりしていたそうです。

 

最初は畠山鈴香を同情するような声も多かったみたいですが、

あまりにもオーバーな言動や態度が目立ち、畠山鈴香に不信感を抱くようになっていったそうです。

私もはっきり覚えているわけではないですが、マスコミにきつく当たったり暴言を吐くような感じだったのは覚えています。

 

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そしてその1か月後、畠山鈴香の自宅から2件隣に住む7歳だった米山豪憲君が

下校途中で行方不明となってしまいました。

 

翌日、約12キロ離れた川岸で遺体となっていた豪憲君をジョギング中の男性が発見しました。

なんとも悲しいニュースでしたね。

豪憲君の首には絞められた跡があったため警察は殺人事件と断定し、操作を開始しました。

 

周りの住民は怖かったでしょうね。

約1ヶ月の間に幼い命が2つも・・・

 

きっと周りの方は子供を学校に行かすことも怖かったことでしょう。

 

 

そこで疑いの目がかけられたのが、畠山鈴香。

畠山鈴香はあたかも自分も被害者であるような風にマスコミのインタビューに答えていました。

「自分の娘も殺されたんだ」と。

 

 

警察は畠山鈴香の娘である彩香ちゃんの事件も含めて捜査を開始しました。

が、畠山鈴香の供述が二転三転したり、アリバイがはっきりしない点などなら

容疑者なのではないかと重要参考人なっていました。

 

そして家宅捜索を行ったところ、豪憲君のものとみられる体液や血痕が見つかり、

翌日には豪憲君を殺害したとほのめかす供述をしたため逮捕されました。

 

そして自身の娘である彩香ちゃんに関しても「橋から突き落とした」と供述。

 

まだ10歳にも満たない小さい子の命を2つも奪って、本当に最低です。

なんでそんなことができるのでしょうか。

 

もちろん他人の子を殺害することも信じられないですが、

よく自分の子を殺害できるなと思います。

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かわいい我が子を殺害するなんて、ありえないし、信じられませんね。

 

畠山鈴香のwiki風プロフィールや生い立ちについて

名前;畠山鈴香(はたけやますずか)

気になる生い立ちは

虐待といじめ

小学校高学年になると父が振るう暴力の対象となり、中学に入るとエスカレートしました。

殴るける、髪の毛を引っ張り引きずり回されるなどしたといいます。

弁護側は初公判の冒頭陳述で

「幼少時からの虐待がかい離性障害を生む原因になった」と主張しています。

 

 

また「心霊写真」「ばい菌」などと呼ばれるなど、小学校から始まったいじめの被害もあったそうです。

友達がいないことを苦に、万引きした文房具を配って気を引こうともしたそうです。

中学時代はほとんど無視され、高校時代はリーダー的存在の使い走りになっていじめに遭うのを避ける工夫をしたといいます。

 

秋田県立二ツ井高校の卒業アルバムには辛辣な言葉が書き連ねられていました

卒業文集で畠山被の

「1年間、長い人は3年間どうもでした。
すぐには仕事をやめてこないけれど二ツ井に帰ってきた時は遊んでやってください!
帰ってきたらまっすぐビューホテルの???の???のでよろしく!」

という書き込みに対し、同級生の寄せ書きは

「会ったら殺す!」

「あと二度と会うことはないだろう。じゃーな」

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「ひゃ~な。帰ってくんなョ。」

「bye2 一生会わないでしょう」

「bye2 目の前に来んな!!」

「やっと離れられる。3年間はちょっと…」

「秋田から永久追放」

「仕事やめで秋田さかえってくるなョ。」

「秋田の土は二度とふむんじゃねえぞ」

「もうこの秋田には帰ってくるなョ」

「いつもの声で男ひっかけんなよ!」

「あれッ!? おめいだったった~(お前いたのか)」

「元気でな。ビューさは来るなよ。(ビューには来るなよ。)」

「顔を出さないよーに」

「山奥で一生過ごすんだ♪」

「はたらいてもあまされるなよ!(戻されるなよ)」

「戦争に早く行け」

「いままでいじめられた分、強くなったべ。俺達に感謝しなさい。」

 

 

よくこれが卒業文集として印刷され残されましたね!!!

教師も絶対見ているだろうし、かなりの大問題なのではないでしょうか!!!

 

結婚そして離婚

高校卒業後は、父親の暴力から逃れたい思いもあり、友人を通じて知り合った男性と駆け落ちのように栃木県へと移りました。

温泉旅館で住み込みで働きました。

仕事仲間との飲み会やバーベキューは楽しい思い出だといいます。

仲居やコンパニオンとして働き、畠山の実家がある二ツ井町(現能代市二ツ井町)に戻り、この男性と結婚しました。

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しかし

元夫とは口論が絶えずほどなく離婚してしまいました。

元夫は証人尋問で

「(畠山被告は)家事をしなかった」

「(栃木時代は)夕食は車で約30分かかるコンビニまで買いに行った」

と証言していましたが、

 

畠山被告は29日の公判で

「洗濯は私がしていた」

「夕食は肉じゃがなどを作り置きしていた。コンビニへ行ったことはない」

など、家事はしていたと反論しました。

 

離婚理由は別であり、それは

「(元夫が口論の末)鋲(びょう)付きのジャンパーを彩香ちゃんに投げつけたので離婚を決意した」と述べました。

元夫はこれまでの公判で「当時は(そのジャンパーを)持っていなかった」と証言しています。

 

しかし報道では

家事は一切やらず、パチンコ三昧の毎日で借金ばかり作っていたことに元夫も愛想をつかして、家を出て行ってしまったといいます。

 

彩香ちゃんが生まれて半年後に離婚したので、

聞こえはいいが、鈴香被告は女手一つで彩香ちゃんを育ててきました。

離婚後は、スーパーやパチンコ店、さらにはスナックでホステスをやったかと

思えば、宴会のコンパニオン、そして生命保険の営業外交員など、

職を転々としていったそうです。

 

「保険外交員の時は、色仕掛けで寝取って契約を取っていたといいます。

朝日ヶ丘団地でも色仕掛けで複数の男性に営業をかけていたようです。」

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しかし、パチンコ癖は治らず、さらに夜遊びも重なって自己破産したそうです。

町営の朝日ヶ丘団地の家賃はもちろん、公共料金も滞納する始末で

「家庭生活はメチャクチャでした。彩香ちゃんは、家ではカップラーメンとか

ろくなものを食べさせてもらえませんでした。

だから、学校の給食の時間が一番の楽しみだったといいます。」

 

彩香ちゃんと豪憲君は、その中でも一番仲がよかったといいます。

とにかく、鈴香被告の育児放棄、虐待は近所でも知られていたそうです。

 

彩香ちゃんは、汚れたままの衣服で学校に通っていたという話ですが、

学校の先生も、見てみない振りをしていたのか、

もはやコミュニティーも崩壊していたのでしょうか!?

 

地元の噂では、豪憲君のお父さんも鈴香と関係にあったと言われてます。

 

しかし、この噂は、今や朝日ヶ丘団地では知らない人がいないといいます。

 

ものすごい人生を過ごしてきたことがわかりますね!!

特に高校でのいじめはよく耐えられたなというほどのものだったのではないでしょうか。

もちろんですが、

畠山鈴香の母校・秋田県立二ツ井高校や同級生に対して非難が殺到しました。

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畠山鈴香の現在は?

今は福島県にある刑務所で服役中みたいです。

 

これは信憑性のある情報ではないので、確実にとは言えないですが。

 

 

まとめ

今回の放送では被害者の父親が真相についても語るそうですが、

いったいなにを語るのでしょうか・・・

もうどんなことがあっても豪憲君が帰ってくることはないんですもんね。

本当にこんな残虐な事件が減ることを願うばかりです。

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