ササキオサムのキャラや嫁や子供は?ムーンチャイルドの解散理由や経歴について!【有吉反省会】

2016年12月24日(土) 24時10分~ 放送の『有吉反省会』では

反省人として以下の方が出演されます。

奥山佳恵さん

ササキオサムさん

奥山佳恵さんは

子供向け料理の連載を持っているにもかかわらず料理の仕上がりがホラーすぎることを反省します。

ササキオサムさんは

いつでもどこでも眠そうなことを反省します。

ササキオサムさんは独特な雰囲気を持つキャラクターを発揮し、スタジオ中を大爆笑へと導くそうです!!

今回はササキオサムさんについて調べました。

ササキオサムのwiki風プロフィールや経歴

sasaskiosamu
名前:佐々木 収(ささきおさむ)

芸名:ササキオサム

生年月日:1971年10月26日(45歳)

出身地:岩手県盛岡市

学歴:二松學舍大学卒

ジャンル:ロック、J-POP

職業:歌手、作詞家、作曲家

担当楽器:ボーカル、ギター

活動期間:1995年~

中学時代、旺文社主催の「ソニー・ディスク&テープ大賞」で作詞作曲部門賞を受賞しました。

 

高校(盛岡第一高等学校)時代、軽音部と演劇部に在籍。

同級生らと結成したバンドで様々なコンテストに出場、テレビ番組『三宅裕司のいかすバンド天国』にも出演し審査員賞を受賞したそうです。

昔から飛び抜けたセンスの持ち主だったんですね!!

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高校卒業後、一年間の予備校生活の後、上京し二松學舍大学を卒業。

雑誌でバンド仲間を募集し、後にMOON CHILDのリーダーとなる樫山圭と出逢ったそうです。

1995年、バンド「タンバリンズ」結成し、11月にバンド名を「MOON CHILD」に改めました。

 

1996年、MOON CHILDとしてメジャーデビューしました。

1999年2月24日、MOON CHILD解散。(解散理由は後程)

同年4月にMOON CHILDのベーシストであった渡邊崇尉と「SCRIPT」を結成しました。

2000年、ロンドンブーツ1号2号の楽曲「HEY!SLOTMACHINE」を作詞(初の楽曲提供)

2000年12月、SCRIPTとしてメジャーデビュー。2003年以降はインディーズで活動。

2003年5月、SCRIPTの5thアルバム「Ultimate or Incomplete」より全ての名義を「佐々木 收」に改めました。

2004年10月、元The Kaleidoscopeの石田匠と「Ricken’s」を結成。

2005年、作家名義を「ササキオサム」に改めました。

音楽グループAAAに作詞提供した楽曲「BLOOD on FIRE」で第47回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞しました。

2007年、ササキオサム名義でのソロライブ活動を開始しました。

演奏楽曲はMOON CHILD時代に発表したものが中心となっている。

2010年7月14日、自身の公式ブログにて一般女性との入籍を発表。

2010年にソロ活動でのバンド形態となる「THE SASAKI OSAMU BAND」を結成。

2013年、MOON CHILD再結成。これに伴いアーティスト名義を「佐々木 収」に戻しました。

 

MOON CHILDの解散理由は?

1996年に「Brandnew Gear」でデビューし、翌年の5作目シングル「ESCAPE」がオリコン1位を記録しました。

Mr.Childrenの後釜として注目が集まる時期もあったが、その後はヒット曲に恵まれず1999年に解散。

 

『ESCAPE』の動画載せておきます。

オリコン1位になった楽曲でしたので、聞いたらピンと来るかなと思いましたが、初めて聞いた感じでした。

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メンバー

佐々木収(ささき おさむ) ボーカル、ギター
1971年10月26日(45歳)
岩手県盛岡市出身
ほとんどの楽曲の作詞・作曲を担当。
SCRIPT、Ricken’sを経て、現在はササキオサムとしてソロ、作詞家、作曲家として活動中。

渡邊崇尉(わたなべ たかやす) ベース
1971年1月29日(45歳)
東京都練馬区出身
解散後は佐々木と「SCRIPT」を結成し活動。

樫山圭(かしやま けい) ドラム
1970年7月25日(46歳)
和歌山県上富田町出身
バンドのリーダー。ヴィジュアル系バンドのプロデュースやドラムチューナーを務める。ドラマーとしてはFRESH CREAM・Salty-Sugar・DIA LOGUE・TRICKで活動。

秋山浩徳(あきやま ひろのり)ギター
1970年4月22日(46歳)
千葉県佐倉市出身
サポートを経て1996年秋に加入。
現在はaiko、槇原敬之、トータス松本らのサポートギタリスト、スタジオミュージシャンとして活動中。
再結成には不参加。

 

2015年、解散から15年以上経った頃、スポニチの取材で解散の理由をササキオサムさんが語りました。

当時の解散理由は「すべてをやり切ったから」とされていた。

バンド結成からライブ活動4~5回でメジャーデビューが決まり「夢みたいな気分」だった。

当時のギャラの配分は「(事務所の給料は)一緒」。印税も最初はメンバーで分けたが、佐々木は「結講、仕事が全部、自分に来ちゃっていたので、ちょっと割に合わないかな、と。曲はみんなで割ろう、詞は僕が半分は欲しい。あとはみんなで分けてくれ、と。自分が100%はもらってないです」と打ち明けた。

メンバーにムカついたことは?と聞かれると「ミスったりすると、チッと思いましたけどね」と苦笑い。全国ツアーの間にも曲を作らなければ間に合わないほど多忙で、自身はホテルに缶詰めになっているのに、メンバーが遊びに行ったりすると「うらやましいな、と。それの蓄積ですかね。自分が作詞作曲にストイックになっている分、おまえらもストイックになれよ、みたいに強要していたところもあって」と振り返った。
引用:http://www.sponichi.co.jp/

 

作詞と作曲も務めていたササキオサムさんの負担が大きかったのが解散の原因のようですね。

他のメンバーより頑張っているのにギャラが一緒ってやる気なくなりますよね!

でも解散後は仲が良いみたいですのでよかったです。

続きは次のページで!!

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